神の仕事

例えば自分が医者だとする。

突然、瀕死の患者が運び込まれ、治療してなんとか一命をとりとめた。
しかし、その患者は借金まみれで治療費を払えない人間だったとする。

では、もし運び込まれて来た時点で「治療費が払えない」ということを知っていたとしたら?
治療を断るだろうか?

いや、それでもきっと治療するだろう。
少なくとも日本の医療機関ではそうしているはず。

仕事とは、本来こういうことを言うのではないだろうか?
(もちろんそういう職業には国のバックアップや他の支援措置が取られているのだろうけど、行う行為そのものとして考えてみる。)

しかし、実際には多くの職業はそういった人の生死に関わるような、是が非でも!というようなものではない。
そして、そういう仕事はまず金銭ありきのはず。

その場合の仕事とは、本当に必要なことなのだろうか?

ここ数年の不況というのもそれまで本当は必要のないことを、さも必要なことのように宣伝し消費を煽り立てていただけで、それが明るみに出たということではないだろうか?

自分がやっている仕事やその業界の先行きに時折暗雲を感じるのは、極端な話本当は誰も必要としていないからではないかと感じてしまう。
ただの消費を煽る一端である。

そう、それでもいいんだ。
そんな理想を言ったって、人は日々生活していかないといけないしそのためにはこの構造に組み込まれていなければならない。
とも思う。

しかし、それでは思考停止してしまうのでなんとかこのギャップを埋める道がないか考えたりする。
今の職業でありながらやれる、本当に人が必要とすることとはなんなのか?

そういえば、、身近にある子育て。親というもの。
子どもにとってはなくてはならない存在で、それこそ子どもの生死や人生にも大きく影響する。

小難しいこと考えてないで、ちゃんとそちらもやらなければ。

子育て。
身近な神の仕事。